
ある選択をするということは、その選択によ
ある選択をするということは、その選択によって生まれるはずのマイナスをすべて背負うぞ、ということでやんしょ。井上ひさし
きっと心に響く名言
ある選択をするということは、その選択によって生まれるはずのマイナスをすべて背負うぞ、ということでやんしょ。井上ひさし
神は、理屈など通用しない子どもを相手にしなければならない女性の精神衛生を考えて、女性の頭から理屈を抜いておいたのである。井上ひさし
たがいの生命を大事にしない思想など、思想と呼ぶに価いしません。井上ひさし
わたしはニセモノの人生=舞台のほうが現実の人生よりも、もっとほんものらしく思えたのである。井上ひさし
鳥は頭を向けた方に飛んでいくが、方向を決めるのは尾っぽである 井上ひさし
神の手落ちは、理屈の通じない女性を相手にしなければならぬわれら男性に、理屈のわかる頭を与えたもうたことである。井上ひさし
どうして殴ったかなんていうことは書かずに、いきなり核心に入っていく。「私はどうも亭主を殴る癖がある」と、ポンとはじめる。井上ひさし
こんな世の中に、親と子が一緒に暮らせるだけでも仕合わせと思わねばならぬ、と孤児院育ちのわたしは考えている。井上ひさし
難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く。井上ひさし
美しさなどというものはあくまで見る側にのみ属する事柄であって、見られる側の問題ではないのである。井上ひさし
ぼくのような仕事の者(=物書き)には、個人全集を第一巻から最終巻まで集中して読むと、とても役に立つことがあるんですね。井上ひさし
この世にはたしかに鬼がいる。しかし仏さまのような人間もいないわけではない。もう、その仏に賭けるしかない。井上ひさし
生娘の一番いけない所は、鼠にもキャッと悲鳴をあげるくせに、狼には笑いかけたりする事なんですよ。井上ひさし
書いたから終わったわけではない。読み手の胸に届いたときに、自分の書いた文章は目的を達成し、そこで文章は終わるわけです。井上ひさし
一人の作家が創り出した小宇宙へ一ヶ月ぐらいどっぷり浸かるというのは、じつに贅沢な楽しみです。井上ひさし
おもしろい物語には二つの特徴がある。まず情報が精選されている。次にその情報がよく整理され、効果的に配列されている。井上ひさし
問題なのは、接続詞を使うと、何も言っていないのに、すごくいいことを言っているような気になってしまうことです。井上ひさし
習得するのに金のかかるものはいわゆるお稽古事で、 金のかからぬものが文化ではないのかしらん。 井上ひさし
(批評する時は)まず、欠点をずばずば言う。それで、いいところをおしまいに挙げる。そしたら誰も傷つかない。井上ひさし
いちばん大事なことは、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということ。井上ひさし
優れた文章書きは、なるべく小さく千切ったものを、相手に次々に提供していく。井上ひさし
自分の値打ちは自分で、自分たちで決める。井上ひさし
喜劇の手法が非合理の権威や不合理な神のばからしさを、その正体をあばくのである。井上ひさし
いい芝居ですと、お客様は本当に神様で、生まれたての赤ん坊みたいな顔で、ずーっと、ゆっくり帰っていく。井上ひさし
凡句でも駄句でも粗句でも、とにかく冒頭が出来れば覚悟が決まる。あとはただ失敗をめざしてただひた走るだけである。井上ひさし
自分を研究して、自分がいちばん大切に思っていること、辛いと思っていること、嬉しいと思っていることを書く。井上ひさし
(日本人は)空から自分たちの生活に届いてくるものは、きびしく見て、よく名前をつけていく。井上ひさし
きれいはきたない、きたないはきれい。すべての値打ちをごちゃまぜにするそのとき、はじめて俺は生きられる。井上ひさし
暴れ狂っているなにものかを表現可能なものにするために、作家は技法という回線を敷き、その回線を通じて、そのなにものかをじ井上ひさし
芝居においては、一が趣向で二も趣向、思想などは百番目か百一番目ぐらいにこっそりと顔を出す程度でいい。井上ひさし